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Christmasイブとチキン

12月23日(金)

命に重い軽いも、上下もない、等しく同じ価値を持つ・・・という説得はよく目にします。

死んでもよい命はない、と。

戦場で死ぬ兵士は国のためなら仕方なくて、プーチンは兵士何万人の命より大事・・・そんなわきゃない。

でも、人間ひとりの体の中には、無数の命があり、自我は私を形成する命の代表みたいなもの、という考え方を持ってます。
無数の命が代表命を支えていて、時には、無数の中のその命とひきかえに代表命が守られることもあります。
消えゆく命は、そのためにあるような節理です。

例えば、抗体ですが、抗体に命があるかどうかは説明しがたいけど、自主的に動くわけだから「命」に準ずると考えてよいのではないかな。
思考する機能はなく、自己再生機能もないから、
質だろうと言われれば、名称としてはそうでしょう。
でも、役割を持って存在し、行動するのだから、その発展形が生物だと思います。命が肉体(物質)とは別物として存在する、というのを信じるとすれば・・宗教的ですね・・ないない、と私は思います。

だから、はしょりますが、命=生命とした場合、役割があり、重さや上下もある、と言えなくもない。
それは、「人間」がそうか、ということとは違う話です。

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少し成長して大きくなったぴよを、メスコケが抱いてあたためています。

ニワトリが、もし、自分の命の扱いを選べるなら、卵のまま消えてゆくのか、あるいは、短い命になるとしてもひよことして生まれることと、どちらを選ぶでしょうね?
たとえ短い期間でも、生きてみる、そのほうが。
命の長さは、まちまちです。寿命まで生きられないこともあるでしょう。
すべてを、人間に置き換えて考えることが正しいとは考えません。

明日はクリスマスイブ。
たくさんのチキンが消費される。
多くのチキンが、そのためにこの世に出されます。

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